第34回アメリカズカップは?
BMWオラクルの圧勝から一夜明けた今日のイタリアの新聞でも
辛うじてアメリカズカップの話題を見つけることができました。
新聞のタイトルを中心にご紹介しましょう。
「アメリカが自身のカップを取り戻す」
ーエリソンのヨットが2回目のレースも5分以上の大差で征服して、レースを閉めた。
ーオラクルがアリンギを破壊。ベルタレリは、屈服。「これからも続けるか分からない」
「これからはお願いですから法廷から遠ざかってください」
ーアリンギの運営に最後まで屈しなかったラリー•エリソンが法廷で使った2億ドルが、
単なる個人的な理由によるものではなかったことを、34回アメリカズカップの開催に向けて
何かしらの形で明らかにするべき。
新しいヨットでやるのか、どのくらいの予算、どこで、いつ行うのかは
ラリー•エリソン次第だが、運営するのは今度は彼の番だ。
「マスカルツォーネ」
ー次回のチャレンジャーオブレコード(一番最初に名乗りを上げる挑戦者)は、イタリアのヴィンチェンツォ•オノラートがオーナーである「マスカルツォーネ•ラティーノ」であることが有力視され始めた。
ラリー•エリソンは、「ヴィンチェンツォは、良い友達だ。友達同士ならいつも正直」とコメント。
ベルタレリ(アリンギ)
ー「続けるか?今のところは分からない。オラクルがどうするかとりあえず分かるまで待つよ。
それから決める。今はオラクルを祝福するよ。アメリカの法廷から小さな助けを借りたからね。
僕だったら法廷まで行かなかったと思う。
でもこれがアメリカズカップ。ヨーロッパ人に取っては勝つのが難しいんだ。」
ラッセル•クーツ
今回オラクルのCEOでありながら、個人的にも再び勝利を味わった主役の一人。
1995年のチーム•ニュージーランドの時はルナロッサに対して勝利を勝ち取った。
ニュージーランドの国民的英雄になりながらも、アリンギのスキッパーとして移籍し、ベルタレリとのケンカの後にアリンギを追われることに。
オラクルのディレクターとして、今回アメリカにトロフィーを再びもたらすことになって、ここで一度ストーリーが落ち着いた。
'オラクルがアリンギを打ちのめす。
カップはアメリカに戻る。'
ースイス人からトロフィーをアメリカに取り戻すために、わずか2回のレースで十分だった。
ーエリソン「次回は、きっと今回よりもすばらしい大会になる」
ーマスカルツォーネ:最初のチャレンジャー。
ジェームス•スピティルは、最年少の優秀なスキッパー
数字の5
アメリカズカップの歴史でわずか5回。
挑戦者がアメリカズカップの所有者を打ち負かすことができた回数。
1983年のオーストラリアⅡ
1987年のスターズ&ストライプ
1995年のチームニュージーランド
2003年のアリンギ
ベルタレリ
1)オラクルのスピードを見たときに、今回は負けたということが分かった。
2)続けるか?今度は彼ら(オラクル)がルールを決める番だ。彼らが何を決めるのかを見てから検討する。
3)今回の経験で一番誇りに思うことは、アリンギがヨーロッパにアメリカズカップを持ってきた最初のチームであったこと。
将来
今回登場した「ヨット」は、将来の実現可能な形として実感できた。
このイベントが今後どれだけ劇的なものになり、スピード感あふれるものになるのかという可能性を残した。
次回の開催地
可能性として、ニューポートもあり得る。(1930年と83年に開催歴あり)
その他の候補は、サンフランシスコ(ゴールデンゲートヨットクラブの本拠地)
いろいろな角度から見方ができますが、
アメリカズカップはもう34回目を目指し始めました。
今回の33回をもう忘れて、34回目を考えた方がワクワクするかもしれません。